気ままに行こう

子育て中の国際結婚家庭の日常生活

韓国での乳がん治療体験記⑧ 言葉が分からない外国生活と検査結果

前回からだいぶ間が空いてしまいました。すみません。

続きは?との声を頂いたので、またこの乳がんシリーズを再開させて頂きます。

 

今回は両親が韓国に到着してからの話しを書いていきたいと思います。

 

前回までの内容はこちらです↓↓

 

韓国での乳がん治療体験記① 大きなしこり - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記② 検査 - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記③ 手術 - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記④ 子供達の面倒は誰がみる? - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記⑤ 病室での日本人と韓国人の違い。 - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記⑥ 国際結婚家庭の悩み - 気ままに行こう

韓国での乳がん治療体験記⑦ 韓国語を話せない両親が韓国に来た! - 気ままに行こう

 

 

さてさて、手術した翌々日に両親が韓国の釜山に到着しました。

 

夫は私の両親の顔を覚えていたし、通訳の方(と言っても知り合い)を連れていったので、無事に合流。私が入院している病院までは車で1時間ほどかかるのですが、一体どんな会話をしたのかはナゾです。

後日夫に聞いたのですが「忘れた」とのこと。

 

本当に忘れたのか、それとも話さないでいただけかは分かりませんが、不安で一杯な中、何を言葉にしたら良いか分かりませんよね。脳天気な会話も雰囲気にはそぐわないし。両親も観光に来たわけではないく、慌ただしく家を出てきたから疲れているだろうし。母にとっては初めての海外がこれなんて・・・って感じです。

 

両親は釜山港から、直接病院に来ました。とりあえず娘の顔を見ようと。

 

ちょうど同じ時間に、夫の親戚達が遠いところからお見舞いに来て下さいました韓国人て親族に何かあると集まってくれるんですね。

そんなわけで、病室の私のベッドの周辺は人だかりが出来ました。私の両親も合わせると合計9人。9人もの人がベッドの周りにワラワラといるんですよ。うるさいですよね。

でも、韓国なら大丈夫!韓国の病室は携帯で話したりするのもOKなんです。日本みたいに「静かにしましょう」ではありません。韓国はバスも電車も携帯で話すのOKなんです。

ただ、うるさいと思った場合には、うるさいと思った人が即座に「静かにして」と注意するだけです。注意されたら「すみません」でサラッと済みます。

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親戚達が集まってくれた時、私が塞ぎ込んでいたらたぶん静かだったのだと思います。が、私はあまり深く考えていなかったのでいつも通りだったんです。何よりも尿道カテーテルがとれて自由に歩けるのが嬉しくて。それから、痛みを感じないように特別な痛み止めの薬を2つも点滴してくれていたので、全く痛くなかったので、落ち込まずにいられたのだと思います。なので、笑いながらみんなと話して居る姿を見て、親戚達は少し安心したようでした。

 

痛み止めの点滴は、別途、夫がお願いしてくれたものであることを日本に来てから知りました。ちょっと高い薬だったのですが本当に全く痛くなかったんです。

何度も怪我で手術をしたことがあり、痛みを知っている夫の計らいに感謝です。

 

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話しを戻して・・・韓国人であっても患者さん達がいる病室にそんなに人が集まっても迷惑なのは分かっているので、私の顔を見て、状況を確認し、長居はせずに帰って行きました。

 

親戚達が帰り、静かになりました。残ったのは両親と夫と通訳の方。

雰囲気はまたどんより・・・両親の不安な気持ちをすごい感じました。

 

とは言えこの時点ではどうすることも出来ないので、とりあえず子供達を保育園に迎えに行く前に買い物をしに行くことになりました。

私は外出厳禁だったので、夫の運転で、両親と通訳の方も一緒に大きなスーパーに。

 

通訳の方がいるだけで、私の気持ちはだいぶ楽でした。だって、もし通訳してくれる人がいなかったら・・・日本語を全く話せない夫と、韓国語は挨拶しか出来ない両親の会話が心配過ぎるので。

 

その日の夜に電話したときに、母が言っていました。

 

母)「韓国って野菜も肉も高いのね。びっくりしちゃった。」

 

そうなんです。私が住んでいた場所は、韓国の中でも物価が高い場所だったんです。

 

私)「市場に行けば安いよ。」

 

(言ってみたけど、韓国語が話せないし行けないだろうな)と思っていました。

 

そして、翌日、行動的な父は、母と一緒に市場に行きました。

そして、韓国語をほとんど知らないのに、チヂミや野菜、果物を買ってきていました。

 

言葉が話せないのに海外に行ったことのある方は分かると思うのですが、会話が出来なくても何故か通じるんですよね。これ、不思議です。

 

指さしたり、うなずいたり、ジェスチャーで充分に通じるんです。

両親はたまに日本に帰ったりしながら7ヶ月間韓国にいましたが、韓国語はほとんど覚えませんでした。それでも生活出来ていましたよ。

 

7ヶ月の間に唯一覚えた韓国語は、「換金して下さい」でした。

韓国ウォンがなくなったら、日本円を銀行に持って行って両替していたので。

 

韓国人の性格のお陰でもあると思うのですが、韓国人て、こちらが全く理解していなくても、親しげに話しまくるんです。話しまくって、ご機嫌!

こちらが日本人と分かると「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」ととりあえず知っている日本語を言ってきます。日本語を話せる人は日本語の勉強になるので日本語で話してきます。韓国人、日本人が大好きなんだなって感じます。

 

そう言えばこんなこともあったそうです。父と母が不動産屋さんの前で、マンションの価格を見ていたそうです。その時に話しかけてきたお婆さんが、なんと昔日本にいたとのこと!とても流暢な日本語を話して居たそうです。久しぶりに他人と日本語で会話したので、母はすごく喜んでいました。

日本語流暢なお婆さんですが、日本が好きらしいです。私も日本が好きな年輩の方にお会いしたことが何度かあります。

こういうのって、日本にいると分かりませんよね。

 

さすがに7ヶ月もいれば色々ありますが、大きなスーパーに行ったら日本語のラベルの日本酒が1升千円位で売っていた!と2本も買ってきたり、色んなビールを飲み比べて気に入るのを探してみたり、それなりに楽しんでいるように見えました。と言うか、楽しみを見つけないとやっていけなかったと思います。

 

韓国はテレビチャンネルがたくさんあるので、韓国の歌番組をよく見ていました。

それから、日本のドラマもよく放送しているのですが、当時は阿部寛が出ている「下町ロケット」がやっていて、しかも朝に見逃しても夕方にまた同じものが放送されていて、その日に見逃しても、翌日にまた同じ内容のものがまた放送されていたりして、そんな感じだったので、「下町ロケット」を何度も見ていました。

 

 

話しが逸れましたが、そんな感じで両親の韓国生活が始まりました。

私は手術後、1ヶ月間は入院していました。

何故かというと、手術してそのまま抗がん剤治療に入ったからです。

 

手術から10日ほどして、組織検査の結果が出たから外来に来るようにと言われました。

夫も私も不安でドキドキしながら診察室に入っていきました。「大丈夫だろう」と言う気持ちと、「もし余命を宣告されたら」と言う不安が入り交じっていました。

 

担当医が結果から伝えて下さいました。

 

担当医)「3期で、トリプルネガティブですね。」

 

その瞬間、心臓が飛び上がりました。

本当に心臓が飛び上がったって感じました。同時に冷や汗が。何故かというと、乳がんは2期までは10年生存率がある程度高いのですが、3期になるとガクッと下がるんです。

しかも、トリプルネガティブって、他の乳がんよりも生存率が低い・・・

 

※補足ですが、トリプルネガティブは北斗晶さんと同じタイプの乳がんです。北斗晶さんと同じくらいの時期に手術と治療をしています。私の方が少し先でしたが。

 

 

(子供達はどうなるんだろう・・・)

 

言葉は出ませんでした。

すごく恐怖を感じ、ただ夫の手を握りしめていました。

 

続けて、

 

担当医)「リンパ節の転移がひどかったので、あと少し遅かったら危なかったですよ。」

 

(出産前に知ったら、娘はな生まれていないかもしれなかったな・・・)

 

少し冷静さが戻ってきました。

 

担当医)「3期なので、強い抗がん剤を使います3週間に1回、8クールで半年かかります。その後は40回の放射線治療を行います。抗がん剤ですが、最近は良いものがたくさん出ているので、副作用はイメージほど強くありません、大丈夫です。完治できるので頑張りましょう!」

 

人によって考え方は違いますが、私はこの時の担当医の「完治できる」の言葉が今でも励みになっています。

 

乳がんは予後が大事だそうです。5年後、10年後に再発する可能性があるんです。「完治」したかなんていつになったら分かるのかさえ分かりません。

 

治療方針を聞いたので話しは終わりかと思いきや、

 

担当医)「普通は一度退院してから抗がん剤治療を始めるのですが、このまま退院せずに始めましょう。」

 

私)「手術したばかりなのにですか??」

 

担当医)「手術して、あなたは体力ありそうだと思ったので。」

 

(そんなことが分かるのか・・・)

 

褒められた気になりちょっと嬉しくなりました。

 

が、

また問題が!!!

 

担当医から話がある前には、私も夫も抗がん剤治療のことなど全く考えていなかったんです。

なので、最初は両親にも私が退院するまで2週間くらい韓国にいてもらえば大丈夫だと思っていました。でも、日本と違って韓国での抗がん剤治療は入院なんです。しかも副作用があったら家事も育児も無理・・・

もうこれは両親にいてもらうしかない・・・

 

翌日、病院にお見舞いに来た親に言いました。

 

私)「ドレーンがとれたら抗がん剤治療に入るんだって。8回入院しないといけないんだぁ。副作用もあったら家のこと出来ないから、あと半年韓国にいられる?」

 

母)「ぎゃっ!」

父「(静かに頷いて)分かった」

 

この違い、笑えました。

父は先を見越していたんですね。

母は本当に飛び上がって驚いていました。当然です。母は、家事もして、夜は新生児の面倒を見て、とても大変だったんです。

子供達の面倒は父も見ていましたが、やはり知っている母に負担がかかってきます。

 

だって考えてみて下さい。

小麦粉を探しているのに韓国語だからどの袋が小麦粉か分からない、調味料はあるけどこれは一体何だろう??

知っているものならまだ味見すればわかりますが、知らない物、知らない言葉に囲まれて、初めて来た家の台所で料理。

しかも洗濯をしたくても洗濯機の字が読めない

何が何処にあるか分からない上、ハングルで書かれているから何が何だか分からない。

そんな中からのスタート、しかも2才の子供と新生児付き

気が狂いそうになりませんか??

 

新生児って夜中にちょこちょこ起きるので、そのたびにミルクを作るんですよ。

しかも、うちの娘、泣き声がすごいデカかったんです。余計に焦る💧

 

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でも、もう選択肢はありませんでした。

そんなわけで両親は7ヶ月間韓国で生活することになりました。

 

この時はちょうど9月中旬。季節も変わるので、日本に帰って着替えを持ってきたり、病院に行って薬をもらってきたり、様々な支払い関係を確認したりと、たまに日本に帰りながら。。。

 

またつづく。。↓↓

韓国での乳がん治療体験記⑨ 患者さん独自の食事療法 - 気ままに行こう

 

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