韓国での乳がん治療体験記⑦ 韓国語を話せない両親が韓国に来た!
前回の内容はこちら。
今回は両親の話しです。
いきなり電話で娘の癌を知らされて不安で一杯。
夜遅くまであれこれ探し、とりあえず韓国に行く手段は確保したので、翌日は朝一で病院を周り必要な薬を可能な限りたくさん処方してもらい、新幹線で大阪へ。
幸いなことに夕方に出航する船だったので、釜山行きの船にはなんとか間に合ったようです。
船で1泊するので、釜山に到着するのは翌日(手術の翌々日)のお昼です。
ちなみに、乗ってきた船はこれだそうです↓
パンスタードリーム号。
孫を見にワクワクしながら乗るはずの船だったのに、不安でいっぱいの船旅。
喜びと楽しみのはずの船旅が、地獄です。
でも、そのなかでもちょっとした癒やしはあったそうです。
偶然にも一人旅をしている若い女の子がいて、話しをすると家が近所とのこと。
それで話しが盛り上がったとか。
両親は関東に住んでいるので、大阪発の船で近い場所に住んでいる人に合うってすごいですよね。
両親は「娘が癌になった」ということで不安でたまらなかったと思いますが、とにかく一日も早く韓国に行くしかなかったので、すぐに動いて来てくれました。
韓国語が話せないとか、予定があるとか、いきなり行くなんて無理だとか、飛行機がないから行けないとか、そんなことを言っている場合ではなく、とにかく早く韓国に行くという選択肢しかありませんでした。
ただ一つ、予想外のことが。。
両親はこの時点では、韓国滞在は私が退院するまでの数週間だろうと思っていました。
もちろん私もそうだと思っていました。
が、実際は7か月も韓国で過ごしたんです。
韓国語が話せないのに。
市場で韓国人のおばちゃん達と会話をして買い物もしていましたよ😆
この場合はやらざるを得なかっただけですが、人間、やれば何でもできるんですね。
さて、手術の翌々日、両親が釜山に到着する日。
迎えに行くのにどうするか・・・
私は入院中。
この日は尿道カテーテルがとれて動けるようになったとは言え、外出は禁止。
と言うか、外出は無理。
点滴台には薬が4つくらいぶら下がっていた記憶が。。
動けたとしても、せいぜい病室のあるフロアを行ったり来たりする程度でした。
でも、夫は日本語が話せない。。
そんな訳で、知り合いの日本人に事情を話し、通訳で付いて行ってもらいました。
この時点で私は、もう何度「乳癌になっちゃって...」と話したことか。。
最初はとりあえず必要だから伝えていた内容だったのに、
次第に「乳癌になっちゃって、、😭」と言葉が詰まるようになりました。
初期だったらたぶんもっと気持ちも軽かったと思いますが、何期か分からない。
5㎝弱まで癌が成長していたので、多臓器転移の可能性があるかも・・・なんていう不安に急に襲われることもありました。
そんな感じだったので、通訳について行ってもらった方に電話をしたときも、涙がこみ上げてきて言葉が詰まってしまい、とても話せない状態だったので、途中で夫にスマホを渡して、事情を説明してもらいました。
事情が事情なので、皆さんすぐに動いてくれて、本当に助かりました。
そして夫は、通訳の方を連れて、午前10時頃に釜山港に出発しました。
つづく。。。
韓国での乳がん治療体験記⑧ 言葉が分からない外国生活と検査結果 - 気ままに行こう