【幻の滝/矢板】おしらじの滝
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【展望台/那須高原】那須高原展望台ー100番目の恋人の聖地の登録地
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【朝食/那須高原】ペニーレインのモーニングプレート
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六つ葉のクローバー見つけた!虫食いだけど!!
ちょっと暖かくなってきたので、子ども達2人を連れて、散歩しました。
うちの周辺は、舗装された道には歩道がないため危ないので、
うちのすぐ前にある畑道を通りながら行きました。
こんな道。。
これ、道かな??
5歳息子が「四つ葉のクローバー探そ」と言うので、
面倒だな・・・と思いながらも、四つ葉のクローバーを2つ探すことを決めて畑道を進んでいきました。
どうして2つ探すかと言うと、1つだと子ども達がお互いに「自分のもの!」と言ってケンカをするから・・・
春になったので
お花が咲いています。
もう当たり前のようになってきましたが、この辺りのタンポポはデカい!
私の手、大きいんですよ。
このサイズのタンポポがあちこちに咲いています。
そして、やっと四つ葉のクローバー発見!🍀
せっかく見つけたのに、
息子「(虫食いじゃなくて)キレイなのが良い」
気持ちは分かるけど、四つ葉のクローバーにはかわりないじゃん!
にしても、なんだか今年は虫食いのクローバーが多い気が・・・
まぁ、暖かくて気持ちいいし、
気を取り直してまた四つ葉のクローバー探し。
ーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー
どんどん歩いていくと、キレイな水が流れています。
引っ越して来た時、最初に驚いたのは、
側溝の水が透き通っていてキレイすぎる事。
今までのイメージだと、ヘドロ臭くて汚い水だったのに、この辺りは違うんです。
途中、トラックが。
なんと、こんなところにシャベル!
初めて知りました。
それはいいとして、四つ葉のクローバーがなかなか見つかりません😭
仕方ないから道路に出て、公園に行きました。
そこにはクローバーがたくさんあるので。
着くとすぐに、子ども達は持ってきたシャボン玉で楽しく遊びはじめました。
私は一人で四つ葉のクローバー探し。
私「一緒にさがそうよ」
息子「ママ一人で探してて」
私「・・・君が四つ葉のクローバー探そうって言ったんだけど・・・」
生意気になったな、と思いつつも
四葉のクローバーを探すと決めたから絶対に探そうと
気持ちを切り替えて探し始めました。
すると、すぐに葉っぱがぐちゃぐちゃに重なっているクローバーが。
よく見ると、なんと葉っぱが六つ!!
六つ葉のクローバー発見?!
見つけた瞬間、かなり感動しました。
写真では葉っぱが六枚あるって分かりにくいですが。。
そして子どもに見せたらやはり
息子「虫食いだ」
やっぱりそこか・・・と思いましたが、
虫食いだろうが何だろうが、
六つ葉っぱがあるんだぞ!!
ところで六つ葉のクローバーにはどんな意味があるのか??
調べてみました。
六つ葉のクローバーは「地位」「名声」を意味するとのこと。
1600万分の1の確率で発生するらしい。
これはすごい!!
そんなわけで、このブログを読んで下さった皆様にも等しく6つ葉のクローバーの福が訪れますように。
余談ですが・・・
この日は娘がエルサの人形を持っていたのですが
なぜか何度も畑道に落とす。。
たぶん10回は落としました。
そして最後にポチャン・・・
ゲゲッ!!
なんでそこに落とすかな??
泣きわめく娘。
こういうところの水は汚いイメージがあるのですが
もう仕方がない、流れて行ってしまうので
考える暇はありません。
拾うしかないので、思い切って手を突っ込んで拾い上げたのですが、
やはりここも水がキレイ。
むしろ畑道でエルサに着いた泥がちょっと落ちてキレイになった😂
そして、ニオイもしない。
さすが田舎です!!
拾ったエルサは濡れているので、袋に入れて持ち帰りました。
家に帰って洗って。
キレイになりました。
帰るときには、子ども達は四つ葉のクローバーのことなんてすっかり忘れていました。
あんなに一生懸命探したのに、
子どもって、
そんなもんだよね・・・
韓国での乳がん治療体験記⑦ 韓国語を話せない両親が韓国に来た!
前回の内容はこちら。
今回は両親の話しです。
いきなり電話で娘の癌を知らされて不安で一杯。
夜遅くまであれこれ探し、とりあえず韓国に行く手段は確保したので、翌日は朝一で病院を周り必要な薬を可能な限りたくさん処方してもらい、新幹線で大阪へ。
幸いなことに夕方に出航する船だったので、釜山行きの船にはなんとか間に合ったようです。
船で1泊するので、釜山に到着するのは翌日(手術の翌々日)のお昼です。
ちなみに、乗ってきた船はこれだそうです↓
パンスタードリーム号。
孫を見にワクワクしながら乗るはずの船だったのに、不安でいっぱいの船旅。
喜びと楽しみのはずの船旅が、地獄です。
でも、そのなかでもちょっとした癒やしはあったそうです。
偶然にも一人旅をしている若い女の子がいて、話しをすると家が近所とのこと。
それで話しが盛り上がったとか。
両親は関東に住んでいるので、大阪発の船で近い場所に住んでいる人に合うってすごいですよね。
両親は「娘が癌になった」ということで不安でたまらなかったと思いますが、とにかく一日も早く韓国に行くしかなかったので、すぐに動いて来てくれました。
韓国語が話せないとか、予定があるとか、いきなり行くなんて無理だとか、飛行機がないから行けないとか、そんなことを言っている場合ではなく、とにかく早く韓国に行くという選択肢しかありませんでした。
ただ一つ、予想外のことが。。
両親はこの時点では、韓国滞在は私が退院するまでの数週間だろうと思っていました。
もちろん私もそうだと思っていました。
が、実際は7か月も韓国で過ごしたんです。
韓国語が話せないのに。
市場で韓国人のおばちゃん達と会話をして買い物もしていましたよ😆
この場合はやらざるを得なかっただけですが、人間、やれば何でもできるんですね。
さて、手術の翌々日、両親が釜山に到着する日。
迎えに行くのにどうするか・・・
私は入院中。
この日は尿道カテーテルがとれて動けるようになったとは言え、外出は禁止。
と言うか、外出は無理。
点滴台には薬が4つくらいぶら下がっていた記憶が。。
動けたとしても、せいぜい病室のあるフロアを行ったり来たりする程度でした。
でも、夫は日本語が話せない。。
そんな訳で、知り合いの日本人に事情を話し、通訳で付いて行ってもらいました。
この時点で私は、もう何度「乳癌になっちゃって...」と話したことか。。
最初はとりあえず必要だから伝えていた内容だったのに、
次第に「乳癌になっちゃって、、😭」と言葉が詰まるようになりました。
初期だったらたぶんもっと気持ちも軽かったと思いますが、何期か分からない。
5㎝弱まで癌が成長していたので、多臓器転移の可能性があるかも・・・なんていう不安に急に襲われることもありました。
そんな感じだったので、通訳について行ってもらった方に電話をしたときも、涙がこみ上げてきて言葉が詰まってしまい、とても話せない状態だったので、途中で夫にスマホを渡して、事情を説明してもらいました。
事情が事情なので、皆さんすぐに動いてくれて、本当に助かりました。
そして夫は、通訳の方を連れて、午前10時頃に釜山港に出発しました。
つづく。。。
韓国での乳がん治療体験記⑧ 言葉が分からない外国生活と検査結果 - 気ままに行こう
その日本語、違うんだけど。。韓国人にとって日本語は難しい??
私の夫は韓国人です。
日本語が話せません。
正確には、少しだけ話せます。
毎日空いた時間に一生懸命、勉強しています。
机に向かったり本を読んだりするのは好きではないようなので、YouTubeで日本語講座を見たり聴いたりして勉強しています。
韓国の方たちは日本が好きなのか、日本で仕事をしようとしているのか、どんな理由があるのかわかりませんが、とにかく韓国人による日本語講座の動画はびっくりするほど沢山あります。
でも、聞き慣れていない外国語って、耳で聞いただけでは正しい発音はなかなか聞き取れないんですよね。
なので、たまに変な日本語を言ってきます。
ある日の出来事…
車を買いたくて、マイカーローンの申請をしました。
---------
ーーーーーーーーー
それから数日後、見知らぬ電話番号からの着信が!!
[ローンセンターからの電話かな?]
その時に夫が言った言葉
(韓国語で言った内容は青字にしています。黒字は日本語です。)
夫)「もしこして!」
私)「は?日本語?韓国語?」
夫)「日本語だ」
私)「そんな日本語ないよ」
夫)「そんなはずはないぞ」
私)「それってもしかして、もしかしてじゃない?👀」
夫)「もしこしてじゃないのか?YouTubeでもしこしてっていっていたぞ!」
私)「だからそんな日本語ないから。もう一度きいてみな」
それから電話に出たのですが、私は面白すぎて笑いが止まらず。
やはりローンセンターの方からの電話だったのですが、笑っていたのでちょっと変に思われたかもしれませんね。
だって、一体全体「もしこして」って何だ?
「もしこして」って🤣
今でもたまに間違えて「もしこして」と言ってきます。
最初に学んだものを修正するには時間がかかりますね。。
外国語の発音は聞き取りが難しい!!!
他にもこんなことがありました。
車に乗っているときに突然
夫)「私は絶対に落ちたりしません!」
日本語の発音はきれいなんだけど、意味不明・・・
一体どこに落ちないんだ?
車が畑に落ちないっていっているのか??
(田舎なので畑が多いんです。)
私が運転してるのに失礼な。
運転上手じゃなくても、さすがに畑には落ちないよ。
なぜそんなことを言ったのか聞いてみると、前の日にYouTubeで覚えた文章らしい。。
状況としては、登山している時の会話。
崖のある危ない道があり、その崖から落ちないよって相手に伝える状況だとか。
夫は日本語を覚えたと、ものすごく得意げ。
「そんな状況はあまりない思うけど・・・」と突っ込みたくなる衝動は抑えて、とりあえず褒めました。
その日本語、いつかどこかで使えたらいいね。
「私は絶対に落ちたりしません!」
韓国での乳がん治療体験記⑥ 国際結婚家庭の悩み
前回の内容はこちら
食べ物ってすごいですね。
手術翌日は、1日振りに食事を摂り力が出てきました。
朝食後にはドクターがいらして説明が。
癌の詳細が分かる組織検査(日本では何というのか知りません、すみません)の結果は10日ほどで分かるとのこと。
なので、現時点ではどのステージなのかは分からないから今後の治療方針も決められないとおっしゃっていました。
癌が大きかったのでステージ2くらいで収まってくれれば良いのですが、もしステージ4だったら・・・と思うと不安になります。
どういう結果にしろ、早く現状を知りたい!!
でも待たないといけないんですね。
どんな手術をしたかというと、左胸の乳腺と、左脇のリンパ節を全て切除したとのこと。
左脇のリンパ節を切除しているので、リンパ浮腫に気をつけないといけないとお話ししてくださいました。
左腕に関しては、重たいものは持てないし、使いすぎてもいけない、圧迫したりマッサージもダメだそうです。
指輪もダメ。
余談ですが、ある日、左腕が太くなっているので、[まさかリンパ浮腫?!]と思い焦ったのですが、右腕も同様に太くなっていて、ただ太っただけだったことがありました😆
それと、左胸は乳腺を全て切除しているので、そのままだとぺったんこになります。
なので、左胸には乳腺の代わりにシリコンを入れました。
手術の時に一緒に。
これは、夫の提案でこうなりました。
夫は何度も手術を経験しているため、分かっていたんですね。
手術がどれだけ体に負担を与えるのかを。
なので、可能ならば1度の手術でそのまま再建して欲しいとお願いしたんです。
でも、このことでまた後で面倒なことが生じたのですが。。
だって、授乳中だったんですよ。
右胸がどれくらいのサイズまでしぼむかなんて私でさえ分からない・・・
さて、話しを戻して・・・
手術後の記憶はちょっと曖昧なのですが、この日は確かまだ動けなかったので、ベッドに居ながら夫と色々話しました。
風船を膨らましながら。
(大きな手術だったので、肺活量を戻すために?、看護師さんから風船を膨らますように言われていました。でもなかなか膨らまないんです。子供にせがまれていつも膨らましていた風船が・・・膨らませられたのは手術後4~5日目だったと思います。)
夫と色々話していたら、ちょっとツラくなってきました。
夫は不安を払拭したいために、「ステージ2だろう」と言っていますが、癌自体は5㎝弱。転移の可能性もあります。
万が一、多臓器に転移をしていたら・・・
乳がんはとても予後が良く、ステージ2までは10年後の生存率がかなり高いんです。でもステージ3になると10年後の生存率がガクッと低くなる。。
ステージ4になると更に低くなる。。
この時、私は[せめてステージ3でおさまっていて欲しい]と思っていました。
でもそんなことを考えるほどに悲しいと言うか、ツラいと言うか、胸が苦しい。
何が一番ツラいかって、娘は私が居なくなってもまだ分からないだろうけど、3才の息子が泣きながら「ママどこ?」って泣いている姿を想像すると胸が苦しくなって涙が出てきました。
そして万が一このまま死んだら、娘は私のことを知らずに育つ😭
私自身は、何故か分かりませんが昔から生きることにあまり執着(?)がなく、「生きたい」とか「死にたくない」とか思ったことはありませんでした。
思うことは[死ぬときに痛かったり苦しかったりしなければ良いな]という程度。
まるで「死」が赤の他人のことかのように。。
でも子供が居ると違うんですね。子供が私を求めて泣くようなことは考えただけでも悲しすぎるので、絶対に子供達のために生きないといけないと思いました。
なのに、「生きよう」と思うようになると、今度は死ぬ事への不安が出てきました。
恐怖と言うより不安。
死んだらどうなるんだろう??
私がじゃなく、家族が。
私は死んだら終わりとして、残った人達がしばらくの間は悲しみの日々を送る・・・それを考えるとまた胸が苦しくなりました。
これは死ねない。
でも[死ねない]と思うほどに死の不安が・・・
なんて悪循環な・・・
この時は不安で仕方なく,不安の中にはまり込んでしまいました。
起きているときは何をしても不安がつきまとうのですが、それでも何とかしないといけない。
その時に、数年前に本で読んだ「ホ・オポノポノ」を思い出しました。
とりあえず何をしても集中できないし、ベッドに居て何もできないので、一日中「ありがとう」「愛してます」を頭の中で繰り返していました。
とにかく不安が常に沸いてくるし動けないので、この時はそれしかできませんでした。
早く結果を知りたい・・・癌はどこまで進行していたんだろう・・・
そしてある時、フッと
「あれっ??もし韓国で死んだら、日本人の私の骨はどこに埋められるんだ??」
これ、かなり重要です。
今でもたまに思いますが、寿命を全うしたとしても、一体どこのお墓に入るか??
どこのお墓に入りたいか??
でも、こんな深刻な状況でそんなシャレにならないようなことを夫に聞けない・・・
それともう一つ。
もし私が死んだら・・・子供達は誰が育てるのか??
どう考えても、私が居なければ子供達は韓国には居られません。
何故かというと、夫は仕事をするので一人で2人を世話するのは無理。
そもそも家事は全くできない。
夫のお母さんは体が悪いからちょっと難しい。
となると、子どもの面倒を見れるのは日本にいる私の両親しか居ないんです。
そうすると子供達は日本で育つことになります。
この時、日本語を話せなパパが、子供達と一緒に日本に行くと思いますか?
子供のためにこれができるパパが居たら本当にすごいです。
日本語を話せない状態だと、かなりの苦労を覚悟しないと日本には来れないと思います。
まず言葉が話せない時点で、稼げる仕事はない!!
それならば、たいていの人は韓国でしっかり働いて稼ぎ、日本に居る子供達に送金する方を選ぶと思います。
で、もし子供達だけ日本に送り夫は韓国で稼いで日本の子供達に送金するとなると。。
当時3才の息子は韓国語を話していましたが、そのまま日本に住んで韓国語を話す環境がなかったらどうなると思いますか?
息子はそのうち韓国語を話せなくなりそうですよね。
生まれたばかりの娘は全く韓国語は話せない。
いずれは子供達は日本語しか話さなくなる。
パパは韓国語しか話せない。
つまり、親子なのに会話ができない・・・
可哀想すぎる。。
国際結婚家庭って、何かあると普通とはちょっと違う問題が生じてくることをこの時に実感しました。
そしてまたお墓の話しに戻ると・・・
もしですよ、子供達が日本に住んでいるのに私の骨を韓国に埋めたら、子供達は墓参りできないじゃん!😱とか。
もし韓国のお墓に埋められたら、夫が死ぬまでは私は会ったこともない夫の先祖達と一緒にお墓に一人で居ることに。。 それも変でしょ。。
かといって日本に埋めたら夫がお墓参りに来れないから可哀想とか。
なので[これは散骨しかないな!]とか考えていました。
つづく。。
韓国での乳がん治療体験記⑦ 韓国語を話せない両親が韓国に来た! - 気ままに行こう
子ども達の寝起きの機嫌を良くしよう大作戦!!でもそれってもれちゃう~
うちの子ども達は、寝起きの機嫌が悪いです😭
(睡眠時間はしっかりとっていますよ。)
5才息子は、朝起きて隣に私が居ないと「ママ!ママ!」と大声で呼び、お布団に入れと言ってくる。。
3才娘は気配なしに起きてきて、突然テーブルに座っていたりするので、私がビビることがしょっちゅう。
で、この二人、毎朝どっちが先にトイレに行くかでケンカをするんです。
順番を決めても、息子はお兄ちゃんとしてどうしても先にトイレに行きたいらしい。
そして娘はそれが悔しくてしかたない様子。
譲り合って使えば、ケンカをしている間に2人とも用を足し終えているでしょ・・・😒
娘が先に起きてきた日は、私が息子に「先にトイレ連れて行くよ」とひとこと言うと、即起きてきて真っ先にトイレに走って行きます。
私は朝のトイレ争いを何とかできないかと考えました。
この問題を何とかしないことには、うちの朝の平和は訪れない・・・
そしてあることを思いつきました。
楽しくトイレに行こう!
どうしたら楽しくトイレに行けるか・・・
子どもってスキップが好きじゃないですか?
ちょっと前に家でスキップの練習をしていたのを思い出し、[スキップしてトイレに行ったらい良いかも!]と思って早速実行。
翌朝、子ども達を起こす時・・・
私)「起きて~トイレに行こうよ。おしっこ、おしっこ、ルンルンルン♪」
と言ったら、子ども達が大喜び。
むくりと起き上がり、手を繋いで一緒にスキップをしてトイレに行きました。
もちろんどっちが先にトイレに入るのかでケンカはしません。
大成功😆
翌日もこれで朝が平和でした。
が、3日目の朝・・・
私)「今日もおしっこ、おしっこ、ルンルンルン~♪」
と言ったら
息子)「スキップしたらおしっこ出ちゃうよ!そういうことさせないでよ!!」
ガーン😱
別に無理矢理させていたわけじゃないけど、そうだよね・・・よく考えたら、朝起きてすぐにスキップなんてしたらおしっこ出そうになっちゃうよね。。
と言うわけで、スキップ作戦は失敗に終わりました。
子ども達が、朝ケンカをせずにトイレに行く良い方法がないものか、他の作戦を考え中です。
【ハンバーガー/那須高原】UNICO
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【ハンバーガー/那須高原】UNICO | 楽に稼いで、楽しく遊ぼう!! (jonsama.com)
韓国での乳がん治療体験記⑤ 病室での日本人と韓国人の違い。
前回の内容はこちら。
手術した日の翌朝。
夫は朝早くから家に帰って息子を保育園に送り、その時に保育園の先生から娘を受取り、家に居る義母に娘を預けて、8時頃に病院に戻ってきました。
朝8時は朝食の時間です。
いきなり、シャーッとベッド間を区切っているカーテンが開け放たれました。
看護師さんが来て、みんなのカーテンを開けていくんです。
食事はみんなで一緒に楽しく食べよう!って感じですかね。
ちょっとびっくりしましたが、
[これってすごい韓国っぽい]と思いました。
私にも食事が出されたので夫にベッドの背を起こしてもらったのですが、まだ完全には起き上がれなくて、お皿から顔が遠い・・・
使える右手でお皿を持ったら、箸を持てない・・・
なので、夫が食べさせてくれました。
前日は夜に水を飲んだだけだったので、ものすごい空腹。
[急にこんなに食べて良いのかな?]と疑問に思いましたが、[食事が出されているから良いんだろう]と納得して、良く噛みながらもガツガツと。
しかもキムチあるし。
いつもは夫に「あれしろ、これしろ」と使われているので、ここぞとばかりに「あれして、これして」と指示をして、私の言う通りにする夫がちょっと面白い、なんて思っていました。
夫がどれだけ不安な思いでいたかも知らずに。
病室の人達はおしゃべりしながら食べています。
韓国人は心にあることをそのまま相手に伝えるので、初対面で話していても付き合いの長い友達のような親しい間柄に見えます。
病室がまるで同窓会のような雰囲気。
私は病室の人達の会話をただ聞いて様子を伺っていました。
どうやら病室の6人中5人は乳がん患者らしい。
たまに私にも話しかけてくれる。
と言うか、私が一体何者なのか、どんな状況なのかを知りたいらしい。
[そりゃ気になるよね、外国人だし。]
でも患者さん達の質問には何故か夫が返事をしている。。
[もう元気だから話せるんだけどな・・・]
と思ったのですが、それには理由があったんです。
会話を聞いていると、夫は他の患者さん達に色んな事を聞いて情報を集めている。
乳がん患者の食事のこと、病院のこと、治療のことなどなど・・・
なるほど、同じ乳がん患者さんに聞けば色々知っている。
でも、みんな自分の持論をああだこうだと言うばかり。
「脂分は食べたらいけない」
「肉はダメ」
「チョコレートはダメ」
「コーヒーは飲むな」
「汗ばむくらいの運動を毎日しろ」
「添加物は絶対に食べるな」
あれが良い、あれは良くない、こうしろ、ああしろと、癌患者の掟!みたいな勝手なルールが色々出てくる出てくる・・・
[それ全部やったら、ストレスが原因で癌が再発しそうだよ]
なんて聞きながら思っていました。
脂分をたくさん摂ったらいけないから、「サムギョプサルは食べれない」と悲しんでいる人も居ました。
サムギョプサルを知らない方は↓こちらをご覧下さい。
jonsama.com
韓国人は他人の事によく干渉してくるので、もしかしたらこのお姉さま達に「それ食べない方が良い」とか「こうしたら良い」とか、入院中はいちいち干渉されるのではないか・・・と言う考えが頭をよぎったのですが、その後はまさしくその通りになりました😭
この日はお昼近くまでベッドから動けなかったので、病室の様子が少し分かってきました。
どうやら部屋に1台あるテレビは無料で、リモコン操作は誰がしても良いけれど、一番年上の人が優先らしく、それ以外の人は、見たい番組があればみんなに声を掛けてチャンネルを変えていました。
ここでもまた日本人と韓国人の違いがありました。
韓国人は見たい番組があると、周囲の様子をうかがったりせずに思ったらすぐ
「見たい番組があるからチャンネル変えても良いですか?」
と普通に言います。(普通の声が大きい声なのですが)
そして、もし今見ている番組をそのまま続けて見たい人が居たら、その人は
「私はこれを見たい」
とはっきり言います。
ケンカにはならないし、[否定された]とか傷ついたりもしません。
「そう、じゃあ終わったら譲ってください。」
とか、
「でもやっぱり見て良いですよ。散歩してきます。」
と譲ったりとかして、後腐れなくあっさりと解決します。
韓国人の会話って、家族みたいに遠慮のない会話なんです。
なので、韓国人の友達との付き合いは楽ちんです。
でもたまに
「その服の色は似合わないから、こういう色にしたら良い」
とか、日本人からしたら[余計なお世話だよ!]と思うことを普通に言ってきます。
でもその韓国人は親切で言っているんです。
韓国人同士だったらなんてことない会話なんでしょうけど、私は日本で育ったのでなかなか慣れませんでしたが。
つづく。。↓↓
韓国での乳がん治療体験記⑥ 国際結婚家庭の悩み - 気ままに行こう
韓国での乳がん治療体験記④ 子供達の面倒は誰がみる?
前回の内容はこちら
癌と分かり、夫は義母に電話して、すぐに来て欲しいと伝えたそうです。
驚いた義母はすぐに準備して田舎を出発したそうで、バスで向かっている最中との事。
ただ、問題が。
義母は足腰肩が悪く、2歳長男の面倒はみれても、赤ちゃんを抱っこしてミルクをあげるなんて無理・・・
生まれて10日目の娘を今日は保育園の先生が見てくれたとしても、明日からはどうするか・・・大問題でした。
私が入院している間、ずっとうちに滞在してくれて子供達の面倒を見れる人なんてもう他には居ません。
日本にいる私の両親。
定年退職して、今は特に何もしていない。
することと言ったら、年に数回、日本中あちこちにミニバンで車中泊しながら旅行すること。
とにかく急いで来て欲しかったので、すぐに電話しました。
私)「驚かないで欲しいんだけど、癌になっちゃって手術したから、すぐに来て」
手術後で力が出ず、とりあえず端的に要件を言いました。
電話に出るなり、「癌になった」とか「日本から韓国にすぐに来て」とか、そんなことを言われたら、驚きますよね。
驚かないはずがない。
海を渡らないといけないのに、まるで近所に住んでいるかのように「すぐに来て」だなんて。
すごい人使いの荒い娘💧
この時ほどどこでもドアを欲したことはありませんでした。
事情を聞いた両親はすぐに飛行機を探したそうです。
その日は既に夕方でしたが、当日の飛行機がないか、それから翌日の飛行機はないか。
ちょうど夏休みの時期だったためか、飛行機は空きがなかったそうです。
実は私の両親は、孫達に会うために、この日のちょうど1週間後に船を予約していたんです。
大阪から釜山まで1泊でいけるパンスタードリーム号という船に。
そこで父が思いついたのは、予約の日程を変更できないか?
そして電話してみると、明日に変更可能との返事が来たそうで、即、私にメール。
《明日の夕方に大阪から出航する船で行く。明後日のお昼には着くよ。》
と。
とりあえず、明後日からは子ども達も大丈夫。
じゃあ明日は??
さすがに保育園の先生に2日連続は頼めない。
麻酔が抜けずにまだ重い頭をフル回転させて思いついたのが、私が韓国に来た当初から良くしてくれた知り合いのお姉さん。
お子さんも中学生だし、1日だけなら預かってもらえるかも!
希望の光が見えてきました✨
今までどうしてこのお姉さんのことを思い出さなかったのか不思議なくらい、いつも本当に親身になってくれ、頼りになる人なんです。
しかも、元小児科の看護師さん!!
もうこの人しかいません。
そして、電話して事情を話しました。
が、そのお姉さんは明後日の朝一で旦那さんの実家に行くとのこと。
ガーン😱
私は思考回路が止まり黙っていると、そのお姉さんは
「家を出る時まででいいなら面倒見るよ、朝の7時くらいまでだけど」
と。
そしてまた、感謝で涙😭
これで何とかなると思い、私は安心して目を閉じていたら、
麻酔から覚めたあとは4時間(だったかな?)寝ないように看護師さんから言われていたので、
夫がいつものぶっきらぼうな言い方で
「寝るな!」
と言ってきました。
[ちょっと、手術した患者なんだから、もっとやさしく声をかけてくれたって良いじゃん💢]
と思いながらも、いつも通りにしかできない夫の不器用さも感じました。
ちょうど18時頃に義母からバスターミナルに到着したとの電話が来て、夫はバスターミナルまで車で迎えに行きました。
家に帰って、遅くまで預けていた息子を迎えに行って、夕飯も食べて・・・
色々と忙しくしているんだろうなと理解しつつも、なかなか帰ってこないことに段々イライラしてきました。
とにかく早く戻ってきて欲しい。
なぜなら、朝から水分さえ摂っていないので、ものすごく喉が渇いて、不安や悲しみよりも、とにかく喉を潤したくて仕方がありませんでした。
全身麻酔をしたので、夜22時頃までは水分を摂らないように言われていたのですが、もうあまりにも喉が渇いて我慢できない。
でも、飲まないように言われた手前、他に人に「水を飲ませてほしい」なんて頼むわけにはいかない。。
口に含ませるくらいの水分で良いから欲しいのに、私はぐるぐる巻きでベッドに張り付いた状態で動けず😭まるで拷問!
付き添いで病院にいないといけないはずの夫はどこに・・・
21時頃には就寝時間のため病室が暗くなりました。
この頃には私の頭の中は「どうやって水を飲むか」ということしか考えられなくなっていました。
それから少しして、向かいのベッドのお姉さんが、ガラガラと点滴台を転がしながら、水をたっぷり含ませたガーゼを私の口にくわえさせてくれました。
拷問と思うくらいの喉の渇きだっただけに、ものすごいありがたさと幸せを感じました。
その向かい側のベッドのお姉さんは「喉渇くんだよね。旦那さん早く帰ってこないといけないのにね。」と言って、それから不自由なとこはないかと聞いてくれてスマホの充電とか色々としてくれました。
まるで神様✨
そして22時過ぎになって、やっと夫が戻って来ました。
疲労と不安と入り混じった顔。
夫のが来たら「なんで早く来なかったのよ💢」と言ってやろうと思っていたのに、顔を見たらホッとして、申し訳なくなって、そんな気はなくなりました。
[そうだよね、昨日と今日で色々あり過ぎて疲れたよね]
と思いながら夫の行動を見ていると、なんと気が利くこと!
私が飲む水も買ってきてくれている!!
ストローまで一緒に😭
もう22時になっているから水が飲める。
少し飲んで、なんて幸せなんだ~と思ったのに、
夫)「看護師が一気に飲むなと行って居ただろ!」
と水を取り上げられました。
そして、ちまちまと一口ずつ飲まされました。
一気飲みしたい衝動を、夫に無理矢理抑えられながら・・・
それから夫は簡易ベッドを広げて、ナースステーションからもらってきたお布団を広げて、自分の寝床を整えていました。
壁際の場所に移動しなかったら寝ずらかっただろうと思うと、勝手に私のベッドを移動したとはいえ、良かったと思いました。
簡易ベッドは私のベッドの右側なので、その日は夫と手を繋いで寝ました。そうするととても安心したので。
でもたぶん、夫はものすごい寝ずらかったと思います。
ベッドの高さが違ったし・・・
と言うか、たぶん夫はこの日は不安で眠れなかったはず。
一方、私は喉の渇きも解消され、ぐっすり眠りました。
普段の育児疲れもあったため、こんな状況でもゆっくり休めることがありがたいなぁなんて思っていました。
つづく。
韓国での乳がん治療体験記③ 手術
前回の内容はこちらです。
手術当日の朝、もしかしたら子供達にはこれが最後の授乳になるかもしれない、と思いながら授乳をしていたら、涙が止まらなくなりました😭
この時2歳の長男には
「もうオッパイはバイバイかもしれないよ」
と伝え、幼いながらに理解してくれた様子でした。
そのことがとても嬉しくて、ありがたくて、また涙😭
下の子には10日間しか授乳してあげられなかったな、、と考えて、また涙😭
情緒不安定が最高潮でした。
それから長男を保育園に送って、私は夫の運転する車に乗り病院に行きました。
何もせずに、何も持たずに。。
今思うと笑ってしまうのですが、「手術」とは聞いても「入院」と言う言葉は聞かなかったので、何故かその日には家に帰れると思っていました。
手術するから帰れるはずがないのに💧
そして、夫も気が動転して入院の事がすっぽ抜けていた様子。。
ちょっとあり得ない。。
さて、病院に着いて外科に行くと、そのまますぐに病室のベッドに案内されました。
私の病室は、病棟の5階の1番奥にある6人部屋でした。
病室内に入ると、真ん中が通路で左右に3台ずつベッドが配置。
隣のベッドとはカーテンで仕切るタイプでした。
奥には窓があり、窓の上にはテレビが1台設置されていました。
朝なので朝食を食べている人がいたり、朝の連続ドラマを見ている人が居たり、皆さん自由に過ごしている感じでした。
そして普通は壁に頭を向けると思うのですが、何故か右側の真ん中のベッドの人が通路側に頭を向けて寝ていました。その人を見て、頭の上を人が行ったり来たりするので落ち着かなそう・・なんて思いました。
私のベッドは、通路側を頭にして寝ている方の向かい側、入って左側の真ん中のベッドでした。
隣のベッドの方(入り口入ってすぐ左側)は、今日が退院だと言って荷物をまとめていました。
ベッドで病室や病院の使い方を説明され、その時に初めて「入院」という言葉を聞いて、私と夫は一緒に顔を見合わせました。
とりあえず説明を最後まで聞いて、それから2人になってから大慌て。
とりあえず必要なものを夫に伝え、持ってきてもらうことに。
どこに何が置いてあるのか知らない夫が、私の必要な物を持ってこれるか心配になりました。
が、これは不足があれば場所を教えて持ってきてもらえばいい。
家は病院から歩いて15分かからないくらいのところだし、韓国は病室内でも携帯で会話して良いので、万が一ベッドから起き上がれなくても、携帯を扱える状態ならばそこは問題はありません。
入院中はメイクなどしないし、パジャマは病院のがあるし、とりあえず必要なものは下着とスマホの充電器と...
それよりも、急いで子供達の面倒を見てくれる人を探さないと💦今夜どうしよう。
夫は私の付き添いで病院にいないといけないし、どうしよう、どうしよう。
夫の知り合いは男性ばかり、私の知り合いは幼い子供がいる人ばかり。
誰にお願いしたら良いかわからず、夜中に預けられる施設とか病院とかないかと思い、そういった情報を知っていそうな息子の保育園の先生に電話をしました。
事情を話し、今日の夜に預かってくれる施設や人など知っていたら紹介して欲しいと言いました。
そしたら、その日の夜は先生自ら赤ちゃんを預かって面倒を見てくれるとのこと。
私は感謝で涙😭
そして暫くして看護師さんが来て、予定より遅れて手術室に。
夫は手術室の外で待っています。
ベッドの上に横になったまま[ドラマみたい]と思いながら、明るく殺風景な手術室を見回していました。
すると、私の頭の上側に、麻酔科医の先生らしき方が来て説明してくれました。
「これから麻酔をします。マスクをしたら、ゆっくり深呼吸して下さい。2、3回呼吸したら意識がなくなります。」
専門家が言っているのに、私は[そんな簡単に意識はなくならないでしょ]と疑っていました。
そしてマスクをされ深呼吸。
スー、ハー、スー、ハー...
そのままスーッと意識が無くなりました。
麻酔科医の先生のおっしゃることは本当でした😵
本当に一瞬です。
—手術—
やたら大きな声で名前を連呼する人がおり、やっとのことで軽く頷き重い瞼を少し開けると、手術室に行くまでの通路の片隅?
明らかに手術室ではない場所に放置されていました。
実際には放置ではないのだと思いますが、誰も私のことを気にかけない。。
誰が名前を呼んだのかも分からない。。
看護師さん達スタッフがバタバタと忙しそうにしています。
そしてしばらくそのまま放置...
動けないし、そのままベッドに横になっているしかない。
しかも頭がボーッとして、なんだか分からない状態。
[一体どんな状況なんだろう?]
手術は終わったようで、胸と左腕を一緒にぐるぐる巻きにされていました。
ガッチリ巻かれていたので、左腕は全く動きませんでした。
時計があったのですが、麻酔が抜けていないせいか、何故だかどうしても時計が読めない。
何度見ても、いくら考えても、時計を読めない。。
[う〜ん、、今は何時だ?]
動くことも声を出すことも出来ずしばらく待っていると、スタッフの方が「病室に移ります」と言って、ベッドを動かしてくれました。
手術室から出ると、夫が近づいてきて、お布団の下にあった私の右手を探して握ってきました。
そして無言。。
私)「癌だったんだね」
かすれた声で言いました。
そんなことは聞かなくても、夫の顔や態度を見ればすぐに分かりました。
そもそも夫が自分から手を握ってくることなんてあり得ない。
そして絶対に泣かなそうな人なのに、泣いた後のように目が赤い。
夫は私の顔を見ずに、黙って頷きました。
[やっぱり癌だったんだ]
私は何を言ったら良いのか分からず、何も言いたくなく、声を出すのも大変だったので、お互いに沈黙していました。
夏だったせいか、夫の手がやたら汗ばんでいました。
病室に到着。
看護師さんが夫に色々と説明をしています。
日本と違い、韓国は家族が泊まり込みで付き添って面倒を見れるようになっています。
そのため、患者さんのベッドの横や下には必ず簡易ベッドがあります。
私が手術した病院に置いてあったのは、畳むと椅子になり、広げると長椅子兼ベッドになるタイプのものでした。
いきなり現実に戻った感じがしました。
ぐるぐる巻きで、あちこちから管がぶら下がっていて、直ぐに退院できないのは分かりました。
看護師さんが説明を終えていなくなると、夫は急に立ち上がり、隣の空いた誰も居ないベッド(入り口左側)を動かし始めました。
意味不明。。
と思ったら、今度は私のベッドの下ををゴソゴソ。
[何をするんだろう??]
ストッパーを外して、私のベッドを動かし、空きベッドのあった場所に移動。。
びっくり(゚◇゚)
ちょっと日本じゃあり得ないですよね。
聞きたくても麻酔が効いていて話すのも面倒なので、そのまま居ました。
これから病院に何泊か泊まるのに真ん中は不自由だ、という夫の判断。
でも、そんな勝手に場所を変えて良いのか??
さすが韓国、さすがわが夫!
あり得なすぎです。
夫はその後に病室に来た看護師さんに場所を移動したことを伝え、看護師さんが「分かりました」と返事をしていましたが、そんな簡単なものなのか・・・
つづく。。
補足:病院パジャマについて
韓国ドラマを見たことある方はご存知かもしれませんが、韓国の病院は病院のロゴが入っていたりする病院独自のパジャマがあり、無料で貸出してくれます。
パジャマは必要なら毎日新しいのをもらえ、指定のカゴに入れておけば洗濯してくれるので楽ちんです。
ただ、全員で共有。
キレイなパジャマもあれば、色あせて擦り切れた汚いパジャマ、穴を縫ってあるパジャマなどもあります。
どのパジャマが良いとか決められないし、足りない時もあります。
自分のサイズのパジャマがない時は違うサイズのパジャマを着たりしていましたが、1番小さいサイズしか残ってなくてちんちくりんのパジャマで過ごした事があります。
また逆に女性用パジャマがなくて、男性用の大きなガバガバのパジャマを着たこともあります。
この時はウエストがずり落ちてくるので、パジャマの上はズボンにinして着ていました。
汚いパジャマであったとしても、無料で当たり前に貸出してくれるので、かなりありがたかったです。
続く↓↓
韓国での乳がん治療体験記④ 子供達の面倒は誰がみる? - 気ままに行こう
韓国での乳がん治療体験記② 検査
前回の内容はこちらから
さて、長男は1歳半から保育園に預けていました。
私が長女を妊娠中、ツワリが酷すぎて水を飲んでも吐くほどだったので、食事の準備さえしてあげられず遊んでもあげられず、同じマンション内にある1番近い保育園に預けていたんです。
なので総合病院に行く時も、生まれて間もない長女だけ連れて行きました。
総合病院に行く前に保育園に電話して事情を説明し、長男のお迎えの時間が遅くなることを伝えました。
そして近所の総合病院の外科に行き、産婦人科で書いてもらった紹介状を渡しました。
それからすぐに看護師さんが案内してくれ一気に全検査終了。
なんの検査をしたのかはっきりは覚えていませんが、
●血液検査
●エコー検査
などなど・・・
他には何の検査をしたのか覚えていません。。
総合病院なので検査を待っている患者さんがたくさん居るのに、どの検査も私が最優先。
[待ち時間ないって爽快だなぁ]なんて、のん気に思っていました。
病院中あちこち周り、全ての検査が終わると、また外科へ。
少し待ち、すぐに診察室に呼ばれました。
ドクターは検査結果を見て、
ドクター)「検査結果で癌と断定はできません。しこりは4.8cmで大きいですが、このケースだと90%の人は癌で、残りの10%は癌ではありません。」
この時点で、夫も私も[癌ではないだろう]と思っていました。
きっと癌じゃない10%のうちの1人だろうと。
続けて、
ドクター)「癌であろうと、癌でなかろうと、このシコリは大きいので取らないととけません。取ってからが癌かどうか検査をします。」
[どっちにしても手術なんだぁ。なんか初めてでドキドキ]
良いのか悪いのか、私は大変な状況になると何故かワクワクしてしまうんです。
まだ不安を感じていなかったので、緊張感も危機感も全くなくドクターの話しを聞いていました。
ドクター)「明日の午前中に手術の予定が空いたのでいかがですか?」
私)「えっ?!(今なんて言った?明日??)」
いきなり明日手術だなんて、びっくり。
検査もそうですが、日本ではあり得ないスピードで事が運ぶので、さすが韓国だなぁと感心しつつ、明日じゃ急過ぎだから他の日にしてもらおうと思っていたら、夫が静かに答えました。
夫)「分かりました、明日お願いします。」
ギョギョッ!!
[なに勝手に返事してるのよ〜]
私は夫に向かって、
私)「子供達はどうするの?誰が面倒見るの?」
夫に「面倒みれる?」とはあえて言いませんでした。
家事が一切出来ない夫に子供達の世話が出来るはずがないことが分かっていたので、むしろ夫には子供達の面倒を見て欲しくないと思ったんです💧
夫)「こういう事は早い方が良い、子供達はなんとかする。」
夫が真顔で言うので、何だか急に不安になりました。
ドクター)「手術にかかる時間ですが、癌でなければ2時間で終わります。もし癌の場合は、シコリを取り除くだけではなく、乳腺も左脇のリンパも切り取ることになると思うので、時間は長引きます。それから、乳腺をとると左胸は授乳出来なくなりますがよろしいですか? どのみち、もし癌だった場合には抗がん剤治療になると思うので、授乳はできなくなります。」
ガーン・・・おっぱい星人の息子をどうしようかと一瞬考えたのですが、ほかに選択肢はないでしょ。
癌だったら取らないと...
なぜなら、検査した時に乳腺にも小さなシコリが2つほど見つかったんです。
それから手術の説明を聞き、同意書を書き、翌朝8時(だったかな?)に来るように言われました。
この日にする事を全て終え、とりあえず一階ロビーにあるイスに夫と一緒に座りました。
私は生まれてまだ9日目の長女を抱っこして。
ものすごく疲れました。
朝から動きっぱなし。
この時、午後4時過ぎだったのを覚えています。
私はこの時には何となく[癌だろうな]と思い、[授乳も終わりかぁ。おっぱい星人の上の子は泣かないかなぁ]なんて考えていました。
癌になったというショックより、いきなり断乳することになって泣いている長男を想像し、そっちの方が悲しく感じていました。
そしてこれからどうなるのか不安もありましたが、突然の事でワケが分からず、先のことも考えられず、とにかく明日が手術、ただそのことで頭がいっぱいでした。
そして、現実のこととは思えないフワフワした感覚でした。
もし手術までに余裕があったら病院を選ぶこともできましたが、病院を選ぶなんてことすら思いつきもしませんでした。
結果としては、この病院はうちから近かったので子供達がお見舞いにこれたし、有名な病院に行って手術まで数ヶ月も待たされたら手遅れになっていたかもしれない上、実はこのドクターは手術の手が早くて乳がんの名医ということで地方新聞で紹介された先生だったということを後日知り、これで良かったと改めて思えたのですが、それにしても突然続きでした。
つづく↓↓
【いちご狩り/西那須野】花家族〜道の駅 湯の香しおばら
ご覧いただきありがとうございます。
タイトルの内容は別のサイトに引っ越ししました。
こちらからご覧くださいませ。
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韓国での乳がん治療体験記① 大きなしこり
ここでお伝えする内容は全て韓国に居るときに起こったことです。
映画の始まりのような前触れですが・・・😆
ここでお伝えする内容ですが、患者さん本人にも、患者さんを支える家族の方にも、または友達や知り合いにがん患者さんが居る方にも少しでも役に立てたら嬉しいです。
当然ですが、環境・年齢・家族関係など、人それぞれなので、あくまでも「こんな人がいたな」程度で参考にしていただければと思います。
ちょっと長い話しなので、何度かに分けてお伝えすることになると思いますが、関心のある方はお付き合い下さい。
では、本題に。
長男が2才、下の子を妊娠中の時から左胸の右上にしこりがありました。
しこり自体はいつからあったのかはっきりした記憶はありません。
長男が生まれた時にはなかったし、多分、長女を妊娠中に、自覚できるくらいの大きさのしこりになったのかな??と思います。
長男はおっぱい星人で、長女が生まれてからもずっと母乳を飲んでいたほどおっぱいが好きだったので、だんだん大きくなっていくしこりを触っては「母乳が詰まったかな?」程度に思っていました。
ーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
そんなはずないんですけどね。
経験者は分かると思いますが、母乳が詰まったらめちゃくちゃ痛いから😭
でも痛くなかったので放置していました。都合良く「母乳詰まったって痛くないことあるでしょ」なんて思ったりしながら自分を納得させて、病院に行かなくても良い理由を探していました。
私はそれまでに大きな病気はしたことなく、薬を飲んだりしたこともあまりありませんでした。なので自分は健康だと思い込み「私は大丈夫」と勝手に判断し、放置していました。
妊娠中に病院に行くなんて大変過ぎるので、夫が「病院に行ってこい」言うのも無視して。
この時点で「なんか変だぞ?」なんて思って、早い段階で病院に行っていたら、長女は居なかったかもしれませんね。何が良い選択なのかは分かりません。あくまでも結果を言うと、私は生きているので[あれで良かった]と思えるのですが。
そして、長女を出産。
その後、しこりのある左胸の母乳の出が悪い事に気がつきました。
産後9日目のある日の午前中、私の検診があったので産婦人科に行きました。
この頃にはしこりもだいぶ大きくなり、小さくなるようすがなかったので、検診のついでに担当医に聞いてみました。
私)「左胸になにかあるんですけど・・・」
担当医)「ちょっと診てみましょうか」
と言うと、すぐにエコーでそのしこりの正体がなんなのか診てくださいました。
そして、いきなり担当医の表情と雰囲気が重くなり・・・
担当医)「今日中に大きな病院に行ってください」
と言うと、紹介状を書き始めました。
もう雰囲気で察しました。
[このしこりは良くないものなんだな]と。
でも、この時はまだ気楽な気持ちで居ました。
長女も居たので、とりあえず帰宅して夫に電話。
私)「今日中に大きな病院に行くように言われたから帰ってきて」
夫)「無理だ。何でもないだろうから大丈夫だ。俺が行く必要はない」
私)「えっ!なにそれ💢 もう良いよ💢💢」
これから何が起こるか分からない不安を抱え[あんたは医者か?その態度はないでしょ!心配くらいしてよね!]という怒りがフツフツと沸いてきました。
でもよく考えたら今までも病院には一人で行っていたし、確かに夫が居なくても行ける。
病院に行っても先生のおっしゃる韓国語はだいだいは理解できるから大丈夫・・・ただ、検査するとしたら2才の長男と、生まれたばかりの長女は誰が診るのか?それが心配でした。
とりあえずお昼の時間だったので、お昼ごはんを食べて、授乳して、それから長男は保育園に時間延長して預けることにして、午後に病院に行くことにしました。
するといきなり夫が帰宅。
びっくりして[自分の分しかお昼の準備してないよ]なんて思い、次に[やっぱり帰ってきてくれた!]と嬉しく思いました。
この時、私は37歳でした。
つづく。
話しがあまり先に進んでいませんね。
すみません💧